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強固な世界観を築く

 我々の住む世界は多くの矛盾を内包しており,その帰結として,我々の世界観も矛盾を保留したまま築かれ,今を生きている人は多いと思う.しかし,その保留されたままの矛盾は,アキレス腱の如き脆弱さを秘めており,その脆弱さを埋めるために,我々は宗教に頼ることが多い.宗教では,世の矛盾に対して,神という絶対的権力の名の下に保証された,正しい指針が示されている.我々は,自分自身で矛盾を解決すること無く,神という都合の良い道具を使って,自分自身が解決するべき課題を外部委託しているのである.

 世の中には,悪が満ちあふれている.それに対する自分自身がとるべき態度も,宗教が教えてくれる.善悪の判断も,自分自身で自信を持って断言できないので,宗教という権威に頼る.自分という存在の意義,自分自身の存在,これらを規定する行為も宗教が肩代わりしてくれる.しかし,これら世界観は,思春期に自らが構築するべきものである.

 「死」という宿命を受け止め,それを受容する態度を保留し,「死」から逃げる「輪廻転生」という論法も許されない.「死」と正しく向き合い,現世を悔いなく生きる心持ちを持つべきだ.それは,日本に古来から伝わる,「一期一会」の精神に通ずるものがあるだろう.飽食の時代にあって,これを実践するのは難しいかもしれないが,一粒の木の実を大切に味わい,咀嚼するということが,一度しかない人生を悔いなく,充実して生きるということに繋がる.例えば,ディズニーランドに人生で一度しか遊びに行けなくても,その一度を楽しむ楽しみ方もある.楽しもうと思えば.むしろ,年間フリーパスを購入し,何度も何度もディズニーランドに訪れ,満たされることのない充足感に溺れ続ける人より,それは幸せである.

 宗教というのは便利な道具である.それに頼りたい気持ちも理解できるが,幻想を幻想と知らず,幻想の世界に生きたまま,人生を終えるというのは誠に残念なことだと思う.

 幼児期の子供は,まれに,空想上の友達を作って,自我と世界との折り合いをつける,イマジナリーフレンドという存在を作ることがあるそうだ.宗教もイマジナリーフレンドのような存在だ.自我と世界との折り合いを付けるために存在する空想上の概念という点では.精神的に成長するとは,この空想上の宗教という存在から決別し,世界から独立した精神を構築すると言うことだ.

いざ行かん,宗教の無き世界へと.